スケッチブック−後編−

次の日も渚はいつもの河原で絵を描いていた。
すると後ろから誰かの気配がした。渚は香織だと思ったので、そのまま絵を描き続けた。
「今日も淋しそうに描くのね…苦しくない?」
渚はその声に殺気づいて獲物を捕らえようとするかの如く、大きく振り返った。
案の定、そこには昨日の女の人がいた。
「何の用だよ!俺が描いてるのに文句あるっつぅのかよ!アンタに何が分かるっつぅんだ!!」
渚は思わず力強く反抗してしまった。
すると女の人は優しく言った。
「――咲き乱れた花はいつも泣いて、ガラスのように光っていて、辛さを乗り越え生きている。
私もいつか君のために、そう君のために。強く、強く。どんなに離れていても‥♪
…この歌、知ってる?」
にっこりと笑いながら、その女の人は言った。
「…天音さんの画集に載ってた詩、、、天音さんが作った…」
渚はきょとんとした。
何でこの人、あの詩を歌っているんだ?
「私この詩好きなのよ‥曲は勝手に作ったんだけど…この詩って辛くても誰かのために頑張ろうって気になるじゃない?」
「誰かのため‥?」
その言葉を聞いて、渚はふと考えた。
俺は何のために描いているんだろう?
「お姉さん、あの‥!」
渚はバッとさっきの女の人が立っていた方を振り返った。
しかし、もうそこに女の人の姿はなかった。まるで風のように。
「誰かのため‥か…」
次の日の朝、渚は学校の裏庭にあるベンチに腰掛けて肩を撫でおろした。
隣にはいつも通り、付きまとっている香織がいた。
「今日はどうしたの?誰の話?」
「‥いや、別に…」
考えるごとに頭が痛くなる。誰かのためなんて考えたことなかったから。
いつでもスケッチブックと向かい合うだけ向かい合って絵を描いていたから。
「‥俺、今日早退する」
「え、ちょっと!?な、渚!?」
「いつもの河原にいるから」
渚は香織にそういうと鞄を手にし、その場を走り去った。

いつもの河原。
いつもの絵の具。
そして、いつものスケッチブック。
いつもの日常が、今日は不思議と悩まされる。
あの一言で。
渚はスケッチブックを広げるとカッタ−で丁寧に削ってある鉛筆で文字を書き始めた。
その文字は単語単語で書かれた。
親、離婚、人類、学校、絵、誰か、謎のお姉さん‥など、渚の今頭で悩まされている単語が…。
「やっぱり考えても誰のためとか…全然わからねぇ…くそっ…」
ビリッという音が大きく鳴った。
渚は今書いた文字のペ−ジを破いて川に投げ捨てた。
「‥天音さん…」
「咲き乱れた〜♪」
っと、渚は背後で声が聞こえたのに反応し、振り返った。
「学校サボリ?」
にっこり笑いかけた。まぎれもない、いつものお姉さんだった。

「へぇ‥私の一言でそんなに考えちゃったんだ−?」
渚は今まで考えてた悩みをお姉さんに話した。
見知らぬお姉さんなハズなのに、この人には言わなきゃいけないと思ったから。
「えっと‥あなたのスケブ貸して、私ちょっと描くから」
「あ、渚でいいですよ‥俺の名前…」
と言いながら渚は自分のスケッチブックをお姉さんに渡した。
「渚くんね、ありがとう、私は―…みこと」
「みことさん‥」
渚は賢明にみことという名前を脳に焼きつけた。
天音さんと同じ名前だったのが気になったが、あまり考えようとはしなかった。

ガリガリ、、、
みことの長い髪が風になびく。
最初に見た時の印象とはうって変わった今日の白いワンピ−ス。
そのワンピ−スが太陽の光に照らされ輝く。
渚はそんなみことの姿を見つめた。
「できた!」
拍子抜けに明るい声でみことが言った。
そして、その絵をにっこり笑いながら渚に見せた。
「いつもより早く描いてみたんだ、君のために」
と、みことは渚に明るい口調で言った。
「わ、綺麗な青空・・」
みことの絵は青が一面に描かれた空。透き通っていて今にも通り抜けそうなものだった。
「渚くんが元気になりますように、おまじないの絵」
にこっと笑いながら、みことはそう言った。
「男の子だったらくよくよしないの!わかった?」
そうやってポンっと、みことは渚の頭を軽く叩いた。
そしてすっと立ち上がってその場からいなくなった。
「・・・もうちょっと頑張ってみるかな・・・」
その絵を見ながら、渚はぐっと拳を握り締めた。

「ただいまー・・」
「渚、ちょっとこっちに来なさい」
家に帰って早々、渚は母親に呼ばれた。
そしてリビングに顔をだすと、そこにはどかんと座っている父親の姿が見えた。
この景色で、なんとなく予想がついた。
「お母さんたち、離婚決めたから。アンタもどうしたいか考えておきなさい」
ぱんっ。
・・・今までことがあってか、渚の心の中で一気に何かがはじけた。
「俺は・・・俺はこの家にいる!!!!!!!どっちにも行かねぇ!!!!!!!」
バンッ!!!!!
ドアを思い切り開いてリビングを出た。
こうなるとは思っていたけれど、いざとなるとやっぱり辛い。


渚はその時、みことのことを思い出した――――――。

渚とみことのやり取りが多めの中編です。 やっと女の人の名前が明かされました。
最後、後編へと続きます。