スケッチブック−後編−

外は雨が降っていた。
みことさんと一緒に居たときは降っていなかったのに・・・。
傘も持たずに濡れたまま、渚は一人いつもの河原へ歩いていた。
雨の日の夜は誰もいない。頼れる人が誰もいない‥。
「渚・・?」
渚が河原の前で座り込もうとすると、突然後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
青い透明なビニール傘をさしている。香織だった。

近所のコンビニで買物帰りといったところだろうか。
香織の手には買物袋があった。
「何かあったの?」
香織が渚に尋ねてきた。
「・・・・・・・」
しかし、それに対して渚は何も答えなかった。
答えられなかった。

香織には言えない。そんな気持ちだった。
でも、あの人なら―――

そう思っても漫画じゃあるまいしあの人が現れるはずがない。
そう思いつつうつむきながら、渚は泣き出した。
そんな渚を見て、香織は背中をなでてあげた。

今日は雨で絵が描けない―――。

コンッ!!
「痛っ」
いきなり渚の頭に何かが当たった。
それはグシャクシャにされた紙切れだった。
渚は雨に濡れているその紙切れを破らないように慎重に広げた。
「‥渚くんへ・・・?」
その一言が書いてある一文を読んだ瞬間、後ろから何か聞こえた。・・・・‥…♪
「何…う‥た?」
「蒼色の涙が君に似合わないって♪だから不自然に動いてる♪独りじゃないって思っているなら♪」
「あ、あの・・」
「‥泣かないで…♪」
そういって渚の右頬に差し延ばされた手。
紛れもなく目の前にいるのは、あのお姉さん、みことだった。
渚はいきなりみことを掴んで泣いた。
まるで生まれたての子猫のように・・・。
香織はそんな渚を見ながら、その場を静かに去っていった。

泣いてから幾分立っただろうか。
渚が涙を拭いたときには、すでに雨はあがっていた。
目の前には大きな虹。そして・・・
「気分晴れた?渚くん?」
みことさんがいた―――
「だいぶ‥落ち着きました…」
「そう、それは良かったわ♪思い詰めた顔してたから、私ビックリしたのよ?」
「すみません・・・」
「やだ、謝らなくてもいいのに!元気が一番よ?ね?」
みことさんに言われる言葉ひとつひとつが心に沁みる。
「上でもみて、気持ちリフレッシュしようよ」
言ったと同時に、みことさんはその場に寝転んだ。
ぽんぽんっと湿っている草地を叩きながら渚を呼ぶ。渚はみことの隣に寝転んで空を見た。

‥空ってこんなに青かったっけ・・・?

「また何かあったら、空を見てみなよ。渚くんがいつも描くような快晴を。」
「快晴‥?」
「雲のかかった白いキャンパスには綺麗な青空を描きたいでしょ?なら、描いてあげなよ、自分色」
そっと渚をなでてくれた手のひらの体温が、体に伝わる。
「絵、描くの好きでしょ?嫌なことがあったらまた描けばいいじゃない。空はいつでも一緒にいるよ」
その言葉に涙が出た。家庭崩壊のときに、この人の優しさをもらって涙が出た。
家でひとりでも、自分は空の下。ひとりなんかじゃないんだ。

誰かが自分と同じ空を眺めているから・・・

「みことさん、ありがとう。俺、家帰るよ」
「うん、気をつけてね。くじけないで、ファイトだよ」
「‥はいっ!」
渚は走った。後ろを振り返らずに前へ、前へ。
泣いちゃダメだ‥!

ドアの戸を開けた。すると玄関には慌ただしくしている母さんがいた。
「あ、渚っ!アンタどこに行ってて‥どんだけ心配した‥と・・・」
「母さん、俺・・・」
「ごめんね、渚・・・アンタの気持ちも分かってあげられなくて・・・母さん達、離婚やめたから・・・」
「母さん・・父さん・・ありがとう・・・・」

一気に自分の気持ちを放出できて、凄く気が楽になった。
そうだ、またあの川原で絵を描きに行こう。
それで、お姉さんにお礼を言わなくちゃ・・・。

でも、それ以来、渚はみことを見ることがなかった。
香織もあの日以来、一回も出会っていないらしい。
幻だったのだろうか?夢だったのだろうか?

でも、きっとこの空の下で、いつでも見ていてくれるはずだろう。ね、みことさん・・・


後日、天音壬琴さんの画集が発売された。その画集の題名は「渚」
渚はもしかしたらと思い、それを見た。すると、いつも見なれた風景が載っていた。
「あの川原の空だ・・・・」

最後に、この画集に言葉が載っていた。
「いつまでもくよくよしないで。前を見て、進んでみよう。大空の下に私達は住んでいるから――――」

この言葉を胸に刻み、渚は今日も、川原で・・・。

完結です。みことの正体がついに明かされました。 文章がまだまだできていなくて恥ずかしい作品ですが、完結できてよかったです。 明るく楽しく。生きていきましょう。